5月27日。 職業訓練校に通い始めて、まだ2日目です。
私は席につきながら、少し身構えていました。というのも、今日のスケジュールには「自己紹介」という文字があったからです。
長年会社に勤めていれば、挨拶や自己紹介の機会は数え切れないほどありました。だから「まあ、いつも通りに自分の経歴や、なぜここに来たのかを無難に話せばいいだろう」と高を括(くく)っていたのです。
しかし、先生の口から告げられたのは、私の予想を裏切る言葉でした。
「今日は自分の紹介ではなく、隣の人にインタビューをして、その人の魅力をクラス全員に伝える『他己紹介(たこしょうかい)』をします」
他己紹介――。てっきり自分のことを話すのだと思っていた私は、一瞬で頭が真っ白になりました。組織の外へ一歩出ると、本当に毎日が「初めて」の連続です。
20代女性とのペア。娘のような年齢差に戸惑う
私がペアを組むことになったのは、なんと20代前半の若い女性でした。
正直に言うと、娘ほど年の離れた方と二人きりで話す機会など、会社を辞めてから初めてでした。何を話せばいいのか分からず、最初の数分はお互いに少し照れくさそうに笑っていたのを覚えています。
「おじさんの私の話を、嫌がらずに聞いてくれるだろうか」と、内心ヒヤヒヤしながらも、ノートとペンを持って少しずつインタビューを始めました。
「なぜWebデザインを選んだんですか?」 「前はどんなお仕事をされていたんですか?」
相手の言葉に耳を傾けてメモを取るうちに、少しずつお互いの緊張の糸が解けていくのが分かりました。
そのときは気付きませんでしたが、あとから考えると、この「他己紹介」はとてもよく考えられた授業でした。相手の話を聞き、その人の魅力を整理して、別の誰かに伝える。Webサイトを作る仕事にも、どこか通じるものがあるのかもしれません。
「字が綺麗ですね」と言われて蘇った、子どもの頃の記憶
インタビューを終え、お互いのメモを見せ合っていたとき、彼女が私のノートを見てポツリと言いました。
「石井さん、字がすごく綺麗でびっくりしました。読みやすくて素敵ですね」
私は思わず「えっ?」と聞き返してしまいました。 長年パソコンのキーボードばかりを叩いてきて、自分の手書きの文字なんて、これまで一度も意識したことがありませんでした。
大人の階段を上る中で置いてきてしまった、大切なものを不意に差し出されたような、不思議な感覚でした。
57歳になった今、まさか親子ほど年の離れた若者の一言で、子どもの頃の自分を思い出すとは思いもしませんでした。 長年、会社の書類にサインをするくらいしか使っていなかった私の文字を、そんなふうに真っ直ぐ見てくれる人がいる。
「ああ、昔学んだことは、何十年経ってもこうして自分の身体に残っていて、誰かに届くことがあるんだな」
なんだか、自分のこれまでの人生の小さな足跡を肯定されたような、じわっと温かい気持ちに包まれました。
帰る頃には、教室の空気が変わっていた
いざ発表の時間になり、彼女がクラスの25人に向けて、私の魅力を一生懸命に紹介してくれたとき、気恥ずかしさと同時に、何とも言えない嬉しさがありました。私もまた、彼女がWebデザインにかける瑞々しい熱意を、全力でクラスの仲間たちに伝えました。
全員の他己紹介が終わる頃には、朝あれほど張り詰めていた教室の空気が、まるで嘘のように柔らかく、打ち解けたものに変わっていました。
26人それぞれの人生があり、それぞれの魅力がある。それを全員で共有できた今日の時間は、私にとって本当に有意義で、大切な宝物のような時間になりました。
教室を出るとき、昨日まではまだ「よその場所」のように感じていた机や椅子が、少しだけ自分の場所に近づいたような気がしました。
明日もまた学校へ行って、新しいことをひとつ覚えてこようと思います。 そして帰ったら、庭のメダカたちにも今日あった出来事を報告しようと思います。
人生は、本当に何がきっかけで変わるか分からないものですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

コメント